現政権に不満も尹錫悦氏にも不安要素 韓国大統領選が歴史的僅差だったワケ
現政権に不満も尹錫悦氏にも不安要素 韓国大統領選が歴史的僅差だったワケ選挙で当選した韓国の次期大統領は、アメリカ、中国、日本の首脳らと電話などで会談を行うのが通例だ。だが今年3月9日の投票で勝利した保守野党のユン・ソクヨル氏は、早くも “中国外し” の姿勢を見せている。【
選挙で当選した韓国の次期大統領は、アメリカ、中国、日本の首脳らと電話などで会談を行うのが通例だ。
だが今年3月9日の投票で勝利した保守野党のユン・ソクヨル氏は、早くも “中国外し” の姿勢を見せている。
韓国にはフェミニズムを嫌う男性が多い
ユン氏は同月10日にバイデン米大統領、11日に岸田文雄首相、続いて中国を飛ばして14日にジョンソン英首相、16日にモリソン豪首相、そして17日にモディ印首相と電話会談を実施した。
日米豪印の4カ国は、インド・太平洋地域での中国牽制を図る安保協議体「クアッド(QUAD)」の参加国。
イギリスも対中国を念頭に置いた米英豪の同盟「オーカス(AUKUS)」を通じて、クアッドと連携する見通しだ。
ユン氏は選挙戦で日米韓の安保強化を主張し、クアッドへの参加も公約としていた。
韓国史上初の女性大統領となったパク・クネ(2013年~2017年)は中韓関係の強化に努めたが、在韓米軍の「高高度ミサイル防衛システム(THAAD)」配備が中国の不興を買った。
その結果中国で起きたのが、韓国製品や韓流コンテンツのボイコット運動「限韓令」だ。
韓国の次期大統領となったユン・ソクヨル氏 ©時事通信社
一方ムン・ジェイン政権(2017年~2022年)は、安保はアメリカ、経済は中国を重視する「戦略的曖昧さ」を外交方針に掲げた。
これは米バイデン政権の中台関係に対するスタンスにも共通する政策だ。
だがユン氏は選挙戦で、「(ムン政権は)中国の経済制裁に屈して安保上の国益を犠牲にした」、「安保上の脅威から国民を守る政府の主権的義務に背いている」と猛批判。
さらにTHAADの追加配備を公約に掲げ、「国民の安全を確実に守る」と訴えた。
「韓国人、特に青年は大部分が中国を嫌っている」
こうしたユン氏の姿勢が、中国を刺激しているのはいうまでもない。
香港紙「明報」は今月14日の社説で、「(中韓関係のリセットは)韓国経済に耐え難い被害をもたらすだろう」と評した。
だが一方で中国の朝鮮半島専門家は、韓国紙「韓国日報」(今月18日付)で次のようにも話している。
「(THAADの追加配備は)大統領選で票を集める方便だと考えている。
本当に推進すれば中韓関係が根こそぎ揺らぎかねないことを、ユン氏側が知らないはずはない」。
選挙のために反中感情を煽っている――。
ユン氏は韓国国内でも、こうした非難を浴びてきた。
昨年12月には「韓国人、特に青年は大部分が中国を嫌っている。
また中国の青年も、大部分が韓国を嫌っている」と発言して物議を醸している。
また今年1月には、フェイスブックで “外国人労働者が韓国の健康保険制度を食い物にしている” という趣旨の声明文を発表。
「(被扶養者を多く登録している外国人加入者のうち)上位10人は(被扶養者を)7~10人も登録している」「外国人健康保険の給付上位10人のうち、8人が中国人」などの数字を挙げ、「国民が40年以上も血と汗を流して作り上げた大切な財産」である健康保険を「不公正」から守らなくてはいけないなどと主張した。
だが2020年の場合、韓国の外国人労働者の健康保険制度は5715億ウォンの黒字。
同年の健康保険全体は3531億ウォンの赤字であり、むしろ恩恵を受けているのは韓国人のほうだ。
外国人労働者は2019年から健康保険への加入が義務づけられ、保険料の算定基準は韓国人より厳しい。
被扶養者の範囲も制限され、労働者1人あたりの被扶養者の数は韓国人の37%にとどまる(2019年)。
また中国人が韓国の外国人居住者に占める割合は44%で最多(2020年)。
そのうち72%は、韓国人と民族的ルーツを共有する朝鮮系中国人だ。
1990年代から韓国の低賃金労働を支えてきた彼らは高齢化率も高く、中国人が給付を多く受けているのは不自然な話ではない。
フェミニズムバッシングで若い男性を取り込み
ユン氏が選挙キャンペーンで反感を煽ってきたのは、中国や外国人にとどまらない。
とりわけ注目されたのは、女性に対する攻撃だ。
韓国では60代以上がユン氏の保守野党「国民の力」を支持し、40~50代がリベラルな与党「共に民主党」を支持、浮動層である20~30代の動向が選挙の勝敗を決するとされてきた。
ユン氏陣営が選んだのは、若い男性を集中して取り込む戦略だ。
フェミニズムが急速に台頭した韓国では、若い男性の間でアンチフェミニズムの嵐が吹き荒れている。
ユン氏が所属する「国民の力」のイ代表は36歳の男性で、 “能力のない女性閣僚のせいで与党は失政を重ねた” といった主張を繰り広げ、SNSを中心に若い男性の人気を集めてきた。
昨年7月に国民の力に入党したユン氏も、イ氏の主張をそっくり受け入れている。
同年8月には、“フェミニズムが健全な男女交際を妨害し、少子化の一因になっている” という趣旨の発言で波紋を呼んだ。
ユン氏は選挙戦で、女性家族部(家族・青少年・女性に関する政策を担う行政機関)の廃止、性犯罪に関する誣告罪(虚偽での告訴)の罰則強化、閣僚の女性クォータ制廃止など、反フェミニズムに同調する公約を次々とアピール。
今年2月には、「(韓国には)もう構造的な性差別がない」「女性が不平等な扱いを受け、男性が優遇されるというのは昔の話だ」との発言も飛び出した。
同月には「女性が若い男性の仕事を奪っている」という演出を盛り込んだ選挙CMを公開。
さらに若い男性がSNSで女性を嘲笑するネットスラングを公約関連の文書に使い、対立陣営を呆れさせた。
反フェミニズムを掲げたユン氏は、海外でも注目を集めている。
米誌「タイム」(同年3月10日付)はユン氏の勝利を伝えつつ、韓国の女性議員の少なさ、男女の賃金格差の大きさ、女性の殺人被害者の多さ、また声を上げた女性が男性から受ける脅迫や暴力などを紹介した。
一方で「VICE News」などの米ニュースサイトは、「インセル選挙」「インセル大統領」などの見出しで韓国大統領選を報じている。
インセルとは、パートナーを作れず女性嫌悪をこじらせる男性のことだ。
“K-Trump”というニックネームも
女性を巡るユン氏のキャンペーンは、社会問題化していた男女間の分断をいっそう深刻にした。
だが彼が煽った分断は他にもある。
韓国ではかねてから保守派の支持基盤である「嶺南地方」、反保守傾向が強い「湖南地方」の地域対立が根深い社会問題となってきた。
歴代政権は、その解消と国民の統合を掲げてきた経緯がある。
だがユン氏は昨年7月、自分たちの支持基盤である嶺南地方の大都市であり、最初に新型コロナ感染が拡大した大邱市を訪問した際、次のように語った。
「初期の感染拡大が大邱でなくほかの地域だったら、秩序ある処置や治療ができず、恐らく民乱が始まっただろう」。
これが過去に封建王朝や政府に反旗を翻した湖南地方を意識した発言なのは明らかだ。
大邱市で感染が拡大した際は湖南地方を含む全国が協力してコロナを抑え込んだだけに、地域対立を煽って支持層にアピールを図るユン氏の姿勢は大きな衝撃を与えた。
政治目的のために憎悪と分断を煽る姿勢は、トランプ元米大統領が記憶に新しい。
昨年3月まで検察総長だったユン氏が、政治経験ゼロのまま大統領を目指した点も同じだ。
そのため韓国はもちろん、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、中国などのメディアが、“K-Trump” “K-Trumpism” などのワードとともにユン氏を紹介している。
与党の対立候補イ・ジェミョン氏が「韓国のトランプ」と呼ばれたこともあったが、人権派弁護士出身で地方行政に携わってきたイ氏には不正確な表現だ。
ユン氏の問題発言は、ほかにも枚挙にいとまがない。
昨年7月には、労働時間の上限を週52時間とした与党を批判して「(ゲーム業界では)週に120時間でも働く」と発言。
2カ月後には大学生との懇談会で、「肉体労働をやって(国際的に)通用することは1つもない。
そんなことは、もうインドでもやらない。
アフリカがやることだ」と言い放った。
さらにその2週間後には、「貧しい人たちが(政府の衛生基準より)低いレベルの食品を安く食べられるようにしなくてはいけない」と言って人々を驚かせている。
そのほか労組団体を「未来を奪う勢力」、市民団体を「権力を支持する腐敗カルテル」と呼び、メディアに対しては「歪曲記事1つで会社が破産するほどの強力なシステム」が必要と力説した。
「若い女性は組織票としてまとまりにくい」という分析
3月9日に行われた投票の結果は、ユン氏とイ氏の得票率がそれぞれ48.56%と47.83%。
得票差はわずか0.73ポイント、24万7077票だ。
投票直前に第3の候補アン・チョルス氏が辞退して野党候補が一本化されたため、ユン氏がリードを広げるとの予測もあった。
だがイ氏は、焦点の20代で女性票を大きく稼いでいる。
ユン氏陣営は「若い女性は組織票としてまとまりにくい」と分析していたが、反フェミニズムへの危機感が彼女たちを与党支持へと結集させたらしい。
つまりユン氏は辛勝こそしたものの、「インセル選挙」自体は失敗だったようだ。
逆に敗れた「共に民主党」は、敗北したにもかかわらず投票翌日から5日間で女性が中心と見られる新規入党者が約12万人も殺到した。
前任のムン大統領の支持率は、今月第3週時点で42.0%だった。
政権末期の大統領としては、かつてなく高い。
それでも与党が勝てなかったのは、有権者が政権に対する審判として投票したからだといわれる。
つまりチョ・グク元法相に始まる数々のスキャンダル、さらに住宅価格の高騰を抑えられなかった失政に対し、多くの有権者が政権交代を突きつけたわけだ。
だが一方でユン氏への不安も拭えないという逡巡が、歴史的な僅差という結果につながったのだろう。
ユン氏の任期が始まるのは5月10日から。
韓国の国会は現在、300の議席のうち共に民主党が172を押さえている。
次の総選挙は、2年後の2024年4月だ。
今年6月1日には、統一地方選も実施される。
政治経験のないユン氏が、この不利な政局をどう乗り切っていくのか。
出帆早々から数々の波乱に見舞われるのは間違いなさそうだ。
(「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班))